本記事で分かること
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・ヌビが日本で選ばれている本当の理由 ・韓国と日本の、ものづくりへの共通する感覚 ・「今この瞬間」に起きている消費の変化 |
Kiim' studioのヌビを選んだ理由を聞くと、うまく言葉にできない人が多い。
「なんとなく、触ったら手放せなくて」
「気づいたら毎日持っていた」
「他のヌビと触り心地が全然違う」
そういう答えが返ってくることが多い。
流行を追う人は、だいたい理由を知っている。○○が話題だから、○○が人気だから。
でもヌビを選んだ人に「なぜ?」と聞くと、少し考えてから、静かに言葉を探す。
その静けさが、面白いと思っている。

流行で選んだものは、流行が終われば手放せる
流行は、終わる。でも、ヌビを選んでいる人たちを見ていると、流行を追っている感じがしない。もっと静かな、自分のための選択をしている感じがする。
誰かに勧められたからではなく、目に入って、触れて、気づいたら手にしていた。そういう出会い方をした人が多い。流行で選んだものは、流行が終われば手放せる。
でも「自分のために選んだもの」はそうじゃない。使うほどに馴染んで、気づいたら毎日の一部になっている。バッグを変えようと思っても、なんとなく手が伸びない。
そういうものが日常には必要だと思う。生活の質を少しだけ良くしてくれるものが。
「なぜこれを選んだの?」とすぐに答えられないものの方が、実は長く続くのかもしれない。
そんなことを、ヌビを選んだ人たちを見ていると、ふと思う。

韓国と日本の、似ている感覚
韓国には、ものを丁寧に扱う文化がある。
「정(チョン)」という言葉がある。人やものへの深い愛着(=人情)、時間をかけて育まれる絆のようなものを表す概念だ。
使い込んだ道具、長年通う店、贈り物を選ぶ時間。そういうものへの敬意が、韓国の日常の中にある。
日本にも、似た感覚がある。
「使い込むほど味が出る」「捨てる前に手を入れる」「大切に使う」。大量消費の時代に揺れながらも、日本人の根っこにはそういう感覚が残っている。
ヌビという素材は、その感覚と合う。
洗うほど柔らかくなる。使い込むほど育つ。時間をかけて付き合うほど、自分だけのものになっていく。韓国で生まれたこの素材が日本で選ばれているのは、根っこにある感覚が似ているからだと思っている。国が違っても、「長く使いたい」という気持ちは同じだ。

触れたときにわかること
理屈より前に、手が先に答えを出す素材がある。ヌビもそうだ。
説明を聞く前に、触れると「あ、これは別物だ」という感触がある。
「雲の上に手を乗せたみたい」、「布団をまとっているみたいに柔らかい」と言ってくださった方もいる。その言葉が、一番正確かもしれない。
日本には、触れることで質を確かめる文化がある。
陶器を手に取る、木の家具を撫でる、布の目を確かめる。素材の良さを、触覚で判断する経験が積み重なっている。
ヌビは、その感覚に正直に応える素材だ。どこを触っても均一な柔らかさ。手に持つと意外なほど軽い。でも中にある温もりはしっかりある。説明しなくても、触れれば伝わる。
言葉より先に手が決める選択は、珍しい。でも、そういう選択の方が、案外後悔が少ない気がする。なぜかは、うまく説明できないけれど。
韓国・大邱(テグ)で1988年からヌビを作り続けて38年。
この「触れればわかる」という部分に、一番の自信がある。

「たくさん持つ時代」の終わりに
少し前から、日本の消費の雰囲気が変わり始めた。
ファストファッションが広まり、安くて大量に買えることが当たり前になった時期があった。同時に、その反動として「本当に好きなものだけ持ちたい」という動きが静かに広がっていった。
洋服の数を絞る。長く使えるものを選ぶ。作り手のことを考えて買う。そういう選択をする人たちが増えた。
その流れの中で、ヌビは「答え」のひとつになった。
高くも、安くもない。でも、買ってから時間が経つほど良くなる。洗濯できて、毎日使える。特別な日のためのものではなく、日常の中で育てていくもの。
気負わず手に取れて、でも確実に暮らしの質が少し上がる。
そういうものが、今の時代に求められているのだと思う。
